島ぐらし郷土料理紀行

長崎の離島「壱岐」に郷土料理修行してきました。今は東京と島を行ったり来たりしつつ、東京の人に郷土料理を通して壱岐を知ってもらおう活動中。 職人堅気な渋い親父さん、チャキチャキの女将さん、東京から島に嫁いだ若女将と、東京っ娘akk^o^の活き物語りです。毎日いろんな旨い物や人々との出会いと発見があります。

グルメお取寄せ - 壱岐もの屋

全国の観音様、壱岐に集結?

先日壱岐の諸津というところにできた新名所「諸津観音」に行ってきました。
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面白いことに、日本全国津々浦々の観音像やお釈迦様をたくさん据えているところであります。
12支生まれ年のそれぞれの観音像もあったりして。

akkoの支年は千手観音。
千手とは千手観音が持つ40の手を二十五有界(輪廻の世界を25種に分けたもの)乗じた数で、「千」とは無量、全てを意味するそうな。人々の全ての苦難を救って、全ての功徳を授けようとする観音様だそうだよ。自分は1人の人間すら幸せにしきれてないのに、千の手もできようかと苦笑してしまったよ。

それにしても、この圧巻する観音様や釈迦像の数々。
人々は、なぜこれらに両手を合わせるのだろうね。

お参りをする時、思い出すのが10年前の学生時代のある青年の姿です。

まだ東京都杉並区の東京女子大学寮にいた頃。
杉並区には善福寺なるちょっとした立派なお寺があってね。

とある蒸し暑い夏の日。
昼にakkoが善福寺に来た時にはその青年はもう手を合わせて一心不乱に拝んでいたよ。当時セミのウザイ鳴き声以外は静寂だったのだけれども、その青年の微動だにしない姿に一心不乱の「怨念」を感じずには居られなかったよ。

その異様な姿を横目に自転車を走らせ、夕方またその善福寺を通ったら。
ナントまだその青年が、同じ姿で拝んでいたことに、akkoはショックを受けたもんだよ。

もう、本当に、うだるような暑さの中、この青年は何時間も何を祈っているのだろうとね。

母親の病気の回復か?
恋人の病気回復か?

何時間もあの猛暑の中祈ることができるのは愛する人への祈り以外ありえなくない?

もう、ずっと、そのこと忘れていたけれどもたくさんの観音像や釈迦像をみて彼を思い出さずには居られなかったよ。
人は愛する人の幸せを祈らずにはいられないものなのだね。
その人に自分が何ができるか、できないか色々考えるけれども、それを超越した念が、祈りにはある気がするよ。

んが、
親父サンは「神様は自分の心の中にいるもんだ。」という。
そのくせ神社や寺に行くと手を合わせる。
「何ばお祈りしたと?」と聞くと「別に。何も。」だって。
超野生児な親父にとっては手を合わせることはただの挨拶か礼儀なのか???

日時: 2006年05月26日 21:10

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