壱岐と鯨
今『壱岐国物語』という本を読んでいます。

この本は壱岐出身の中上史行さんという学校の先生が、
学者や郷土史家による専門的、研究論文的なものでなく、
一般の人に親しみやすく壱岐の歴史を知ってもらおうと
書いたご本です。
中上史行先生の生前をご存じの方が、とても温かく人徳のある方だったとブログに書いてらしたので、興味を持って本を取り寄せました。
玄界灘に浮かぶ壱岐はその立地から、大昔より隣島の対馬と共に大陸文化の伝来にとって大切な架け橋であり、学問的にもアジア大陸と日本列島の結び目として重要な存在だったようです。
小さい島ながら沢山の遺跡と多くの伝説があります。
その中で興味深く読んだのが「勇魚(いさな)とり」の話。
勇魚とは鯨のこと。クジラ漁のことです。
そう、壱岐はクジラ漁が盛んな島でした。
この本には捕鯨のはじまりから、必要な船数から人数、道具の種類から数、方法、揚げた鯨の加工法から鯨組の納税金まで細かくリアルに書かれていて、その情景が目に浮かびます。
私が住んでいたところは「鯨伏(いさふし)」といい、その由縁も書いてありました。
1970年代には捕鯨問題が国際的にピークに達して狩ることもなくなり公にすることも憚られるようになったけれど、この本は、日本の食文化を語る貴重な資料です。
捕鯨問題はデリケートで不可思議な点も多く、多くを語ることはこの場では控えますが、自分たちの生きてきた歴史を知ることは大事なことだと思います。
中上先生の書き出しに「島国日本は鯨にはずいぶん大むかしから、お世話になっています。」とあり、この文章から鯨や自然の恩恵に対する感謝の思いが伝わってきます。
壱岐市芦辺町ハルの山もの立派な石の鯨供養塔があるそうです。
日時: 2007年02月06日 11:21
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.shimagurashi.com/mt/mt-tb.cgi/493

