島ぐらし郷土料理紀行

長崎の離島「壱岐」に郷土料理修行してきました。今は東京と島を行ったり来たりしつつ、東京の人に郷土料理を通して壱岐を知ってもらおうと活動中。 職人堅気な渋い親父さん、チャキチャキの女将さん、東京から島に嫁いだ若女将と、東京っ娘akk^o^の活き物語りです。毎日いろんな旨い物や人々との出会いと発見があります。

グルメお取寄せ - 壱岐もの屋

三階に家なし

最近は「忍耐」や「辛抱」という感性が死語になりつつあるのでしょうか。切れやすい子供、親離れできない大人増量中。。。
いろんな事件を起こしていますね。

学校教育も公平性を大事にした成績表や運動会。
これは本当に良いことなのかどうかはなはだ疑問です。

「わたしゃー、嫁に行って一度も実家に泊まったことないとよ。」と話し始める【壱岐もの屋】末永おばちゃん。

対馬から壱岐島に働きに来ていた末永おばちゃんは、ハンサムな末永のおんちゃんと恋に落ち、親の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚。

「一緒になって50年。出産時以外はおんちゃんと別の布団で寝たことないとよ!」とのろけるおばちゃんですが、網元の長男の嫁として、色々な苦労も多かったようです。嫁・姑・小姑さんや船員さんと一つ屋根の下に暮らしているのだから、相当な気の使いようだよね。

ある若かりし日、おんちゃんと大げんかして家出し対馬に帰ろうと思い、祖父さん(お父さんが病気で亡くなり祖父が父代わりだった)へ手紙を送ったそうです。
「たまにはおじいさんの様子でも見にのんびり対馬に帰ろうと思っています。」

すると。

対馬のおじいさんも娘の弱気を察したのでしょうか。
「我家に三階の家なし。が、お前には親も兄妹がいること忘れんこつ。」という短い返事だけ返ってきたそうです。

要約すると、嫁に行ったお前が帰ってきても住む家はない。壱岐で頑張りなさい。とはいえ、お前を心配する親や兄妹がいて、独りぼっちではないのだからね。ということだそうで、この返事をもらった末永おばちゃんは「あぁ、もう自分には末永姓で生きていくしかないとね。」と、甘えた気持ちは捨てて網元の妻としての決意を新にし、それからはどんな辛抱も忍耐もしてきたそうです。

「対馬のじいさんも私が寂しくて死んだりしたらいかんと思もーて最後の一文をつけたしたんやろね。それが親心」と笑いながら話すよ。今でも兄妹仲良くされているおばちゃんだけれども、対馬に漁でいってもご実家に泊まったことはないそうだよ。


実家という存在は人それぞれで、特に男の人には帰郷本能があって、実家はのんびりくつろぐ場所であることが多いね。末永おばちゃんにとっての実家は、故郷は遠きにありて思う「巣立ちの場所」なのかもしれない。


三階に家なし:意を決して旅立つこと。物事を行うこと。またその覚悟

こんな新ことわざ作っても良かろー?

CIMG0089.jpg
イカ網の仕掛けをする末永おんちゃん。
75歳になった今でも現役の漁師さんです。

日時: 2008年05月19日 21:34

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